だからなんなんだよ。

何処か居た堪れない心持ちを抱えて暮らす中年の戯言。

こだわり

ある日ふと、物事に対する自分のこだわりが、この世を生き辛く感じさせている原因なのではと思った。


そう思って以来、自分の中にあるこだわりを探しては、それが本当に必要なこだわりなのであるのかをじっくりと考察する事を心掛ける様にしてみた。


今の自分を構成する要素として、日々の暮らしの中において、思考や、身の回りにある物、人間関係や世間では常識とされている概念など、かなり多くの事象に対して、自分は無用なこだわりで凝り固まってしまっていると改めて思うのである。


そんな様々な事物に関して、日々何気なく考えを深めていくと、この世のかなりの部分が自分にとってはどうでもいいものであると気付かされる。


そんなどうでもいい事にこだわっている理由は何なのか。自分自身の生い立ちであったり、周囲の環境や、体験してきた事や触れてきた情報。そういったものが複合的に組み合わさって、自分を縛り付けるこだわりという名の呪いになっているのである。


そんな呪いを一つづつ取り払いながら、最後には何にも無い自分で死ねたら上出来であるかなと思っている。


しかし、こだわりという武装を解除して、なんにもない自分でいる事というのは、それはそれで人間にとっては恐ろしい事なのかも知れない。


最後に残るのは生へのこだわり。


断捨離と同じ様に、内観から自分のこだわりを捨てて行くのは、心が軽くなり気持ち良い事ではあるのだが、しかし、それもまた過ぎたるはなお及ばざるが如しである。


人間、こだわる事は生きる事そのものなのかも知れない。

f:id:sekitama:20230513150242j:image