だからなんなんだよ。

何処か居た堪れない心持ちを抱えて暮らす中年の戯言。

中二病なおっさんの中年の危機

町の沿岸部に在る、広大な敷地を有する製鉄所へ、夜勤に向かうべく自転車を漕いでいると、巨大な高炉が、私を嘲るかの如く目前にそそり立っていて、まるで自分が足下で蠢く働き蟻の様に感じてならず、なんだか惨めな気持ちになる。コイツに殺されるのは甚だ不本意である。

 

寝不足の身体と、陰鬱な気分を引き摺りながら、必死に職場へ向かう働き蟻なのだが、ふと誕生日が近い事を思い出して、これもまた憂鬱な気分に拍車を掛ける。

 

気が付けば今年で私も37歳である。とんでもない事だ。うかうかしているうちに、無邪気な少年期や、眩しい青春時代は遠く忘却の彼方へと過ぎ去り、今や鏡に写るのは、家族の問題や病気、住宅ローンなんぞを抱えて身を持ち崩しそうになっている、死んだ魚の目をした中年のおっさんなのである。

 

体力のピークは過ぎ去り、若い自分の過信したツケが押し寄せるかの様に、次々と悲鳴を上げながら不調を来す身体。

 

自分はもしかしたら、何者かになれるかも知れないと、心の何処かで信じていた期待もとうの昔に失われ、向上心は無く、欲望も薄くなり、ただ一切が過ぎて行くのに身を任せているだけの空虚な心。

 

これが中年の危機というものなのかと思うも、自分の苦悩を、定義された流行病の如く扱われる事には、これはこれで少し癪に触る。

 

周りが全員、中二病なのであって、まともなのは自分だけだと信じていた、誰よりも中二病を拗らせていた中学生だった頃の精神性から、何ひとつ成長もしていない。

 

しかし始末が悪いのが、そんな自分が案外好きという、どうしようも無い自己愛による防衛本能が、みっともなく老いてきた自分を肯定して受け入れようとする所である。

 

憂いて、病んで、まあいいか。永遠にこの思考のループを悪戯に繰り返して抜け出せないのだ。

 

粉塵塗れの、汚れに汚れた製鉄所の構内を移動する。得意げに腕章を付けた職制が、構内の移動には不釣り合いな高級車を粋がって乗り回し、誰かの粗を探すのに躍起になっている。

 

高炉が炎を上げながら、見下ろしている。この場所において、どんな立場であろうとも、おしなべて働き蟻には違いあるまい。精々、高炉に踏み潰されない様に気を付けるしかない。コイツに殺されるのは甚だ不本意である。

 

四十にして惑わず。漠然と遠い先の事だと思っていたのに、気付けばその年齢が目前に迫り、余り時間の猶予が無くなっている。

 

四十路を迎える頃の私は、惑いのないおっさんに成れているのだろうか。或いは、性懲りも無く、うかうか過ごして今と相変わらぬ、何の益体も無いおっさんっぷりに磨きを掛けているのであろうか?

 

いずれにせよ、立派なおっさんには変わりない。

 

 

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